障がいのある多くの仲間たちの笑顔につながっていく取り組みを活動の中心に据え、多くの支援者と共に、泣き笑いながら、もう一度、明日に向かって一歩踏み出していきたいと思う。情熱と誇りをもって・・・
足音で母の存在を感じ、デイサービスに迎えに来た喜びを全身で表現する障がいのある仲間。口いっぱいにおにぎりを頬張り食事する仲間。しかし、家庭環境の急激な変化によって、家族で支えることができなくなったのか、デイサービスからその姿がある日突然消えていった仲間たち。家族や職員の苦渋の選択が、そこにはきっとあったのだろう。壁に貼られた画用紙に『共に生きる ノーマライゼーション社会』と書いた文字を、空しい思いで見ていた30数年前の私の姿が今も心の中にある。
親の元気な時の『行き場』ではなく『生きる場』を創ろうと仲間が集まった。1995年1月17日の阪神淡路大震災を乗り越え、家庭環境や社会的環境の変化に左右されることなく『生まれ育った町でごく当たり前に暮らしたい』という障がいのある仲間たちの思いに突き動かされた2002年、仲間たちの思いを更に具現化していくことを目的にNPO法人ウィズアスを設立した。翌年の2003年、支援費制度が施行された。
この制度をツールとして仲間たちに多くの人をつなげるため、幾度もショートステイを繰り返した。依存度100%であった親たちから、不確定な依存先である人と人を慎重につないでいった。点と点がつながり線になり、線と線を編み込み、布を創る取り組みの中で、家庭環境などの変化に左右されることなく『当たり前に生きたい』という希望が見えはじめた。
2006年障害者自立支援法が施行され、ライフデイケアと共働作業所パセリジュニア、共働作業所トゥモロー編集室を統合し、生活介護事業(ライフデイケア)と就労継続支援事業(ウイングコウベ)へと移行し、居宅支援から日中活動支援へとさらに広がりはじめた。
この取り組みへの利用希望者が増え、ライフデイケアとウイングコウベの活動拠点を広い場所へと移動させた。2013年「障害者自立支援法」から「障害者総合支援法」へと変わっていった。
私たちは、仲間や親たちが今抱える問題、今後抱えるであろう問題を幾度も話しあった。
ひとりひとりが自らの選択で生活を選びたいという思い、ごく当たり前に生まれ育った町の中で生きたいという思いが、2014年6月、私たちの町に福祉施設に該当しないRe-Smile(シェアハウス)を創り出した。さらには、2017年に共同生活援助事業(グループホーム)、2018年には相談支援事業へとつながっていった。
この20年数年の間、確かに制度は変わっていった。しかし、障がいのある仲間たちや親たちが抱える多くの問題は、20数年前と同じで未だに解決されず残されたままである。
仲間たちの充実した支援体制を創りだすため『こうではありませんか!』を社会に対して問い続ける事、提言し続ける事が、NPOの大切な役割ではないかと、再び強く思うのである。
私たちは、これからも移り行く制度に翻弄さることなく、障がいのある多くの仲間たちの笑顔につながっていく取り組みを活動の中心に据え、多くの支援者と共に、泣き笑いながら、もう一度、明日に向かって一歩踏み出していきたいと思う。情熱と誇りをもって・・・
NPO法人ウィズアス